Interviewインタビュー

移住者インタビュー(渡邉泰治)

早期退職。魚沼と出会って気づいた

田舎暮らしの「シアワセ」論。

まさかサンタクロースになる日がくるとは… これもシアワセの形の一つです。

 

移住した経緯を教えてください

5年ほど前に30年間勤めた会社を早期退職し、その後1年間は妻から家事の指導を受けながらも、これからの進路について悩んでいました。漂流しかかっていたのかもしれません。
再就職も考えましたが、何回か面接を受けるうちに「これなら会社を辞める必要なかったんじゃないか」と思い、「会社や組織に入るのはやめよう」そう心に決めました。

東京にいる必要もないと考えていた矢先、知人から「有楽町駅前にふるさと回帰支援センターというところがあるから覗いてみたら」と言われ、物産コーナーで酒でも飲めるのかな?と何の気なしに足を運んだのです。

その日、たまたま開催されていたのが魚沼市地域おこし協力隊の募集説明会でした。
協力隊という制度はその時初めて知りました。年齢制限があり、自分には応募資格がないことがわかったのですぐその場を去ろうとしたのですが、エレベーターに乗り込む寸でのところで先ほどの受付の女性に「話を聞いていただけませんか」と呼び止められたことが、この土地に縁もゆかりもない私と魚沼の初めての「出会い」でした。

ードラマのような展開ですね

私を呼び止めてくれた女性は、横根地区の初代地域おこし協力隊員でした。
少し話をすると「渡邉さん、ぜひ横根に来てください」といきなり真顔で言われたので、正直、こいつヤバイ!と思いました。2,3回行ったところで、現地の事などすぐにはわからないとやんわりお断りの意思を伝えると、畳みかけるように「大丈夫です。1カ月滞在できるプランがあります」と。にいがたで暮らす・働くインターンという県の制度を利用して、茅葺き屋根の修復作業を行いながら1カ月滞在するというプランを出されました。これには思わずのけぞりました。
いやいや、待ってくれ。55歳のおっさんを職人の現場に?相手にされるわけがない、だいたい先方だって迷惑だと思ったのですが、いざ応募してみると快諾。
インターンが始まり、今までとは真逆の働き方で職人の方々と共に汗をかく1カ月間が、東京でこれまで30年間やってきた事は何だったのかを客観的に考えるきっかけとなりました。自身の奥深くでOSが書き換わるような感覚が生まれ、もしかして、こういう暮らし方もありかもしれない。そう思うようになり、家族の後押しを得て、2017年10月、2代目の横根地区地域おこし協力隊として着任しました。

 

渡邉さんにとっての移住とは何でしょうか

正直、何を持って移住とするのか、引っ越しと何が違うのか?明確に言葉にできていません。
私自身、横根にどっぷり浸かって住んでいますけど東京にも生活基盤があって、しいて言うのであれば二地域居住なのでしょうけど。
あまり移住、定住と言う言葉にとらわれない方が良いと思っています。実際、移住・定住はハードルが高いですから。移住・定住と言われると結婚する気はあるのか、結婚を前提に付き合う気はあるのかと迫られているような感じがします。
まずはお友達からといった、もう少し手前から始めるニュアンスが欲しいと思っています。

 

移住して良かったことを教えてください

都会で暮らす事、働くとは一体何なのか?ということを逆説的に気づけたことでしょうか。

東京で働く同年代の仲間に会うと、どこか閉塞感や将来への漫然とした不安を抱えており、東京はもう行くところまで行ったなと感じることが多くなりました。
私は横根で暮らすうちに、どれだけ自分自身が経済優先、便利さ、効率などの価値観に縛られていたのかを逆説的に気づくことができました。だから幸せというものがどういうことなのか、以前より少しは分かったように思います。都会には都会の良さがあり、地方には地方の良さがあり、その逆もまた然りでしょう。そのことが確信できただけでも、東京の引力圏外に身をおけたことは本当に良かったと思います。

あのまま会社に、東京にずっと身を置き続けていたら。そう思うとゾッとします。

 

大変だったことを教えてください

私の着任以前から地区に関わっていた首都大学東京(現:都立大学)の大学生達から横根のお米を販売したいという希望があり、どのように協働していくかを検討するところからプロジェクトは始まりました。当初は、地区の方が本当に望んでいる事なのか正直つかみきれない状況で。とにかく形にしてみないと始まらないだろうと孤軍奮闘した一年間は今振り返ると結構しんどかったです。しかし、地区の方は見ていないようで見ていてくださり、2年目からは全面的に協力してくださるようになりました。

横根みずほの里という任意団体が立ち上がり、「よこね米」のオーナー制を主にしたプロジェクトは協力隊の3年間で基礎ができたのではないかと思います。
今年4年目を迎え、やっと軌道に乗ったところです。加えてオーナーの一人が横根の協力隊に応募し、3代目に着任してくれ本当にうれしい限りです。

 

協力隊退任後についてはどのように考えていたのでしょうか

正直退任後の身の振り方は、あまり考えていませんでした。
考えたところで思いどおりにならないし、出会いがなければ始まらない。なるようになるだろうと。退任が近付いた頃、集落のばあちゃん達が家を訪ねてこられ、「今までありがとうの」「どこに行っても元気での」とお餞別をくださいました。
このお餞別は、今までもらってきたどの給料やボーナスよりも涙がでるほど嬉しく、有難く、価値があるもの。ゼロから3年間で自分が集落の方々と築いた信頼関係の証なのだと素直に思いました。

 

地域おこしアドバイザーについてお聞かせください

地域おこしアドバイザーは市にとっても初めての試みなので、私も手探りしながら活動しているのが現状です。ただ、協力隊の時は横根中心で動いてきましたが、今後は魚沼全体を見据えて活動することになります。
東京の引力圏の外側にある魚沼には実際の距離感を含め大いにチャンスがあると思っていますし、特にこのコロナ禍で一層チャンスを見い出せる可能性があると思います。しかしチャンスはあっても具体的にアクションを起こさなければ意味がありません。

移住や田舎暮らしに関心はあるけれども、具体的な行動はなにも起こしていない大半の人たちに、いきなり移住・定住はハードルが高いので、こんな暮らし方もありかもしれないと思ってもらう方策を戦略的に組み立て、実行していきます。交流ではなく、関係人口を創ってゆく。これが基本方針です。

 

田舎に暮らす際に大切なことは何でしょうか

よく言われることですが、

①自分のためになるか

②相手のためになるか

③それ以外の人々のためになるか

この3つを考えて行動する事につきるのではないでしょうか。①②まではいわゆるWIN―WINの関係です。ここまでは、大体考えるものなのですが、往々にして③が欠ける場合があるように思います。

③まで満たすように行動すると、おのずと助けてくれる人が現れ、ものごとが進むと思います。そして、それは「信頼関係」を築くことに他なりません。“信頼”がど真ん中にないかぎり、どんなに素晴らしい技術、専門性、スキル、経験があっても役にたたない。3年間の確信です。

 

移住を検討している方に一言お願いします

田舎暮らしに憧れる人の多くが、のんびりしたい、スローライフを楽しみたいと口にされますが、それは都会人のファンタジーかもしれません。田舎暮らしは草刈りや網戸の小さな補修など、できる事はすべて自分で動かなければならないから、マメじゃないと暮らしていけません。do it yourself!が基本です。それを楽しめる人、むしろやってみたいと思う人は向いていると思います。

田舎には都会ほど娯楽と呼べるものがありません。
逆に都会に娯楽が多いのは、辛いことが多すぎるからです。
強い刺激がない事を楽しめる、喜べる方は田舎暮らしに向いていると思います。

また、自然を相手にする時は思い通りにいかないことも多々あります。
自分の力ではどうすることもできない、そのような状況を受け入れるのも大切ですね。

最後は孤独と向き合えるか?です。協力隊も移住も馴染みのない所に飛び込むわけですから、正直、孤独と向き合わざるを得ない場面が少なからず出てきます。気を紛らわせようにも三密を見つけるのが困難ですから、孤独と向き合える人ではないといささか厳しいかと思います。でも、向き合ってみると、孤独とは本来のありようであることに気づき・・・、だからコミュニティーとはなんなのかに気づき・・・と、最終的にはシアワセって何なのかという気づきにまで至るその出発点であるように思えるのです。

こう述べると魚沼暮らしは派手さはないけど後でしみじみとくる、案外哲学的な暮らしなのかもしれませんね。今気づきました。

移住を検討している方、関心がある方、是非一度魚沼と出会ってみませんか。

出合いがなければなにも始まりません。まずは、魚沼と友達の関係から始めませんか。

 

-ありがとうございました。

 

渡邉さんはよく「有楽町駅前でだまされて魚沼に来た」といいますが(ネタです)何を隠そう、だました本人は筆者です。(だましてはいません)
人様の人生を180度変えてしまいましたが、横根での暮らしを楽しみ、魚沼のために活動する渡邉さんはとても楽しそう。
息子さんの「東京に居た時よりイキイキしている」という言葉がすべてを物語っています。
これからも地域おこしアドバイザーとして、魚沼のためによろしくお願い致します。

 

渡邉 泰治(わたなべ やすはる)
埼玉県新座市出身。
東京で30年間務めた会社を早期退職後、たまたま出会って魚沼を来訪。横根地区2代目地域おこし協力隊として、「よこね米」のオーナー制度などを実施。

現在は魚沼市地域おこしアドバイザーとして精力的に活動中。