Interviewインタビュー

移住者インタビュー(松尾亮輔・恭子)

目黒邸に魅せられて、今ここにいる。

大好きな目黒邸の前で家族と

 

魚沼市に移住された経緯を教えてください

高校までは、福岡県に住んでいました。
子どもの頃から仏像を修復する仕事に興味を持っていて、高校も美術系の学校に行っていました。
文化財修復を学べる大学を探していたところ、長岡造形大学を見つけて受験。
大学では様々なデザインの勉強を学びました。
修復=仏像と思っていたのですが、建物の修復でした。
授業を受けるうちに、建物修復に興味を持つようになったのです。
大学4年生の時に、守門村(現魚沼市大倉)にある国の重要文化財である佐藤家の全面葺き替えがあることを知って、造形大の友人と一緒に通いで「テコ」をやらせてもらったことが、魚沼に初めて関わったきっかけですね。

その春には、目黒邸のさし茅修復も手伝わせてもらいました。

大学卒業後は京都の文化財の屋根葺き専門の会社に就職し、そこで「こけら葺き(サワラの木を板状にして屋根を葺く)」「桧皮葺き」を学びながら、9年間文化財の葺き替えや修復に携わりました。
仕事を辞めるにあたり、これからどこに住もうかとなった時に、京都で結婚した大学の一期先輩である妻が新潟市出身だったため、新潟県に行こうという話になりました。
新しい仕事を探すにあたって農業か林業で仕事を探していたところ、現在の職場である農耕舎の前進の会社を見つけて応募し、無事採用されました。
会社の近くに目黒邸があるのが良いなというのも思っていました
目黒邸の破風がとても格好良くって、大好きなんです(※現在、破風の形は松尾さんが引っ越した当時と変わっています)
 
 

今の場所に住み始めたのも、目黒邸があったからですか?

初めは、今住んでいる自宅から近いところに家を借りていたのですが、2年前に現在の家を購入しました。
今の家を決めた理由は、やっぱり目黒邸に近いということが一番!ですが、他にも西村(松尾さんの住む集落名)に住み慣れたこと、只見線の駅も近く、だからと言ってメイン道路から一本入ったところなので交通量も少ないというところでしょうか。
子育てをするにはとても良い環境だと思っています。
周りの人は優しいし、感性や人としての優しさが育つと思います。
春先が特に綺麗ですよね。
道端に咲く草花が色付いていくところとか、最高だと思います。
家を購入したことで、周りの方々の雰囲気も変わりました。
それまでは賃貸だったので、いつか出て行ってしまうのではという空気があったのですが、購入したことで「本気でここに住むんだね」って感じに変わりました(笑)
2009年8月の、西村の祭りの時に引っ越してきたので、魚沼に移住してもうすぐ丸10年目になります。

 

ー仕事や地域での取り組みを教えてください

母の実家が果樹園で、小さい頃手伝いに行っていた時は、園内を腰に鈴を付けて走り回っていました。
自然が好きということや、農業への繋がりはそこからかもしれません。
今はメインでお米を作っているので、直売所の元気すもんでお米を販売したり(元気すもんの記事はこちらからご覧ください)目黒邸との繋がりがもっと増えて、地元が元気になれば良いなぁと思っています。
目黒邸や佐藤家を活かした取り組み、地域おこしをしたいですね。
目黒邸のおかげで、最近繋がってきていることもあります。
造形大では広くデザインを学んだので、お米のパッケージへの取り組みや、環境も含めた生活がデザインであるというように、視点が広がりました。
人と生活を豊かにするのがデザインだと思っています。
 
ーありがとうございました。
 
 
インタビュー中、屋根葺き談議でかなり盛り上がってしまいました。
市内に松尾姓が数軒あるため、Uターンかと思いきや、全く縁もゆかりも無い松尾さんだとか。
子どもとの時間を大切にし、大好きな目黒邸を毎日目前で見られることが、松尾さん にとって一番の幸せであることは間違いないと思いました。
 
松尾亮輔(まつおりょうすけ)
福岡県福岡市出身。
大学進学によって来県、魚沼に関わりを持つ。
京都で屋根葺き職人を経て、再度新潟へ。
現在は農業をしながら、地域の直売所運営にも携わる。
 
松尾恭子(まつおきょうこ)
新潟県新潟市出身。
大学時代の亮輔さんの一期先輩。京都で結婚。
新潟市は街場のため、魚沼市に住むことに異議はなかったのか伺ったところ、
京都から比べればかなり実家に近くなったので問題なかったとのこと。
(京都→8時間位、魚沼→1時間弱)